リリーチャイルド

百合彦が長めの文章を書く事に挑戦する

入院初日 4月26日 ①

入院で感じたこと、ひとつもこぼれ落としたくないから、入院中に書きためた日記をブログにする。

初日の26日から日記は始まっているけれど、5月1日までは私物持ち込み不可の病室にいたため、1日までの日記は数日後に感情を思い起こして書いたものになる。

でも、日記を書くことだけは入院前より決めていたから、何もない部屋で次々と浮かんでくる言葉たちを脳のシワに刻み込むのに忙しく、大変だった。

最初の方は1日分がとても長いので分けて書く。

 

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全てがつらく、八方塞がりになっていた。

前の晩に、睡眠薬をいつもよりたくさん飲んだ。

ODというような大層なものではない。薬を飲んでいるのに眠れないという焦りから、ついつい何錠も追加してしまった。

つらさの輪郭をぼんやりさせたい、という欲求もあったと思う。

しかし翌朝(4月26日)目が覚めたとき、ぼんやりとした頭には「もう無理だ。病院に行って先生に話そう。」という文字が、危険信号のようにチカチカと光っていた。

前の日まで、つらくて起き上がることすら困難だったとは思えない程、すばやく身支度をして予約の電話を入れた。

駅までどうやって歩き、どのように電車を乗り継ぎ、到着したのか思い出せないが、「もう限界だ」という脳や心からの危険信号に突き動かされていたのは覚えている。

 

 

12時、クリニック。先生と話す。

現状を話していたら、先生が「どこかシェルターのようなところがあればいいのだけど・・・」と言うので、軽い気持ちで「もう入院しかないんですかね」と言ったら、あれよあれよという間に話が進んでいった。

叔母の同意が必要とのことで、叔母の連絡先を教える。先生が私の代わりに電話をしてくれ、お昼休みなのに診断書と紹介状を書いてくれた。

私はまだこのときは、「あっ今週の土日、サイドエムのライブビューイングじゃん!今日は木曜だから、入院は週明けの月曜からにしてもらいたいな〜」などと馬鹿げたことを考えていた。

そして、「入院、今日じゃないとだめですか?」と聞くと、先生は「もうすぐゴールデンウィークに入ってしまうから今でないと」と言った。

しかし後に、こんなことを言っている場合ではないほど、自分の精神は切迫した状態であったと思い知らされる。

真に危うい精神状態の時、人はその危うさを認識できないのだ、と今深く思う。

 

 

ぼんやりと待つ。

「入院」の二文字が目の前に現れてから、私の脳は「もうがんばらなくていいんだ」と安心し、休み始めた。全身の筋肉が弛緩してゆくのを感じた。

私は、あと一滴注げば溢れてしまうくらいに、なみなみと水が入ったグラスを頭に乗せて歩いているかのような状態だったのだ。

 

呼ばれる。

叔母の許可だけでなく、母の許可もいるとのことだった。

戸惑った。

昨年末に決別してからずっと連絡を拒んでいるのに、関係を希薄にしようとがんばっているのに、助けを求めるようなことをしたくないと思った。

けれども頭はぼんやりとしていて、思考はまとまらなかった。

ただ「SOS」が点滅していた。

「助けて!誰でもいいから今この状況から連れ出して!」「逃げたい!もう無理!」「安心したい!」という言葉で頭は一杯だった。

母の連絡先を教え、フラフラと待合室へ戻る。

叔母からの「どうした?」というLINEに返答する気力もなく、「クリニックに電話してください」とだけ送った。

全部どうでもよかった。

何も考えたくなかった。

しばらくすると、母の同意が得られたとのことで、本格的な病院探しに入った。

 

ずっと待合室に座って待っていた。

もう時間の感覚はなく、知らないうちに眠りに落ちていた。

私は、電車内など、屋外では居眠りができない性質なので、目覚めたときは驚いた。

でも、とにかく眠くてしょうがなかった。

今思うと、この頃は常にぼんやりと眠かった。

しかしそれは眠りに落ちるほどのものではなく、それでいて思考力を奪うような、不快な眠気であった。

なので、この時眠ってしまったのは、現実から解放されるという安心感によるものだったのだと思う。

 

 

どろどろと、現実との境界線を曖昧にして不定形になっているうちに、受付の方が「〇〇病院になりましたよ」と声をかけてくれた。

叔母には、「〇〇病院に入院します。今日(叔母に)来てもらわないといけないそうなので、お手数おかけしますが、よろしくお願いします。」とだけ送った。

ちなみにこの時、病院のサイトのURLを載せるためにアクセスを調べたはずなのに、思考力を失っていた私の頭にはカケラも情報が残っておらず、5日後の5月1日まで、自分の現在位置も分からないまま過ごすこととなる。

 

 

しばらくすると、救急隊が来た。

何か2、3点確認されるが、既に社会的動物ではなくなって"肉塊"と化していた私は声が出なくなっており、首を縦に降ったり横に振ったりしていた。

そして、此の期に及んで、「入院して束の間の休息を取ったって、事態は何も変わらない。」「むしろ休息した分だけ、退院後の暮らしにより耐えられなくなって、つらさが増えるだけ。無駄だ。」などと、もんやり考えていた。

入院という最後の切り札を使ってもなおつらい日々が続くのでは、という恐怖が、助けを求める私の邪魔をしていた。

「まだ切り札がある!」という保険を失うのが怖かったのだ。

しかし、 担架に乗せられ救急車に入れられた途端、それまでの不安は打ち上げ花火に乗って天高くまでゆき、パァンと散り散りになって、消えた。

「やっと赦しがもらえるんだ・・・。安心できる。解放された。私は赦されるんだ。」と思い、泣いた。

赦しのパワーはすごい。

自分には安らぐ資格がないとか、逃げたらだめとか、そういったことぜーーんぶを、いったん放り出してみちゃおうという気持ちにさせてくれる。

たまには逃げたり、楽をしたっていいじゃないか。

何年もまじめに頑張って考えたんだから。もういい!とりあえずいったん死ぬ!!!

 

救急車が病院へ到着した。

担架から可動式のベッドに移され、寝たまま診察室へ入る。

 

 

17:25、私はついに入院した。